諷刺画999夜(諷刺画 千夜マイナスワン)

19世紀の諷刺画を中心に読み解いていく

Ⅰ-2 「中道派の誕生」

 諷刺画、とくに『カリカチュール』や『シャリヴァリ』の政治諷刺画では、有名な絵画のパロディを使ったものがしばしば見られる。これからその例をいくつか見ていこう。
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 まずここで見るのは『カリカチュール』1832年2月2日号にグランヴィルとフォレストが描いた「中道派の誕生 自由の女神の難産のすえに」だ。この諷刺画は、1827年にウジェーヌ・ドヴェリアが描いた「アンリ4世の誕生」のパロディである。


 はじめにドヴェリアが描いた「アンリ4世の誕生」を見てみよう。画面中央左に横たわるナヴァール国女王ジャンヌ3世(ジャンヌ・ダルブレ)が出産を終えて横たわっている。中央にはジャンヌの父エンリケ2世(アンリ・ダルブレ)が、ポーの宮殿でいま生まれたばかりのアンリ・ド・ブルボンを高々と掲げて、誇らしげに集う人々に見せている。アンリ・ド・ブルボンはのちにブルボン家初代のフランス国王になるアンリ4世である。この絵は、19世紀の画家ウジェーヌ・ドヴェリアが22歳のときに描いた絵画で、27年のサロンに出品されて大評判になったものだ。1827年は「記憶に残る展覧会」と言われたが、なるほどこの年には、ドラクロワが「サルダナパロスの死」「オリーブの畑のキリスト」など9点を出品したほか、フランソワ・ジェラール、グロス、アングル(「ホメロスの神格化)、コンスタブル、ブーランジェなどが作品を出している。

 フランスの芸術思潮は長らく停滞期にあったが、27年あたりから新しいエネルギーが蘇りつつあったという。なかでも「アンリ4世の誕生」は、その芸術的な完成度ばかりでなく、復古王政を称える主題からも絶賛され、「サロンの真珠」と言われた。なるほど、このときの国王はブルボン家のシャルル10世だった(皮肉なことに、シャルル10世がブルボン家最後の国王になってしまう)。翌1828年に「アンリ4世の誕生」は6000フランで国王によって買い上げられるし、同年、絵の版画複製権が6500フランで売れたのである。対照的なのは、同じサロンに出されたドラクロワの「サルダナパロスの死」である。この作品は1824年に発表された「シオの虐殺」以上に評判が悪く、大半の批評家から厳しい評価を与えられた。なお、ウジェーヌ・ドヴェリアは1838年からアヴィニョンノートルダム・デ・ドム大聖堂の絵画(?)の修復を行なうが、身体を壊し、1841年から1865年になくなるまで晩年をポーで過ごした。

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         ウジェーヌ・ドヴェリア「アンリ4世の誕生」

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      グランヴィルとフォレスト「中道派の誕生」

 さて、グランヴィルとフォレストはこの有名な絵画をもとに、革命の変質を皮肉る諷刺画を描いている。ここでは原画のジャンヌ・ダルブレが自由の女神に、父のアンリ・ダルブレが国王ルイ=フィリップに、そして生まれたばかりのアンリ4世が「中道派」に変えられている。どうしてそれがわかるのかというと、まず出産を終えた女性は「自由解放」の象徴である赤いフリギア帽をかぶっているからである。彼女は左手に27、28、29と書かれた紙を握っている。これは7月革命が起きた栄光の3日間、7月27日、28日、29日を指している。つまり自由の女神は7月革命後、難産のすえに新生児、すなわち新しい体制を生み出したということだ。しかし、新生児を高々と掲げているのは、革命後に国王の座についたルイ=フィリップである。当時、諷刺画で国王の顔を正面から描くと訴追される恐れがあったので、ルイ=フィリップは後ろを向いている。しかしそのでっぷりとした体型、頬髯、ブルジョワを表すナイトキャップから、この人物が国王であることは誰の眼にも明らかだった。そして彼がそこに集う人々に見せているは、タイトルにもあるように「中道派」と名付けれられた子どもである。中道派とは、右派でも左派でもない「ちょうど真ん中」という意味であり、7月王政政府の穏健でブルジョワ的な体制を指していた。したがって、この諷刺画の意味は、人々は自由を求めて革命を起こしたのだが、難産の末に生まれた政権は、国民が望むような民主主義的な政府ではなく、国王が自画自賛するような保守的なものだった、ということである。


 ところでタイトルにある「難産」とは、産婦の肉体的苦痛を指しているというよりも、むしろ産みたくもない子どもを出産しなくてはならない精神的苦痛を意味している。自由の女神から中道派の子ども(保守的な体制)が出てくる理不尽さが産婦の顔ににじみ出ている。彼女を取り巻く政府の要人からしてみれば、なんとしてもこの分娩を成功させねばならない。女神の傍らに立つ首相のカジミール・ペリエ(➊)は助産婦となって出産に手を貸している。その右にいるギゾー(❷)は、新生児を取り出す鉗子を手にしている。左端に立つロボー元帥(❸)は大きな浣腸器を手にして、いつでも鎮痛薬を与えられるようにしている。ロボーは1831年5月にデモ隊を消防ポンプで蹴散らしてから、浣腸器(注射器)が彼のアトリビュートになっているのだ。政府のお歴々は、自由の女神からなんとかして無事に「中道派」を出産させようと躍起になっているというわけだ。


 そしてドヴェリアの絵では、手前に犬と戯れる道化が描かれているが、諷刺画のほうでは、背の低いことで有名だったティエールが雄鶏を馬鹿にする仕草をしている。雄鶏はもちろん「ガリアの雄鶏」すなわちフランスの国鳥である。政府がフランスの国をいかに軽視しているかがここに暗示されている。


 またもうひとつ、「アンリ4世の誕生」では、王家に訪れた慶事を祝おうとして、貴族から庶民にいたるまで次々と集まってきている様子がとくに右奥に見られるが、「中道派の誕生」に見られるのはまた別のものである。閣僚たちのほか、そこに詰めかけてきているのは、その帽子と銃剣から明らかなように兵士しかいない。7月王政政府は軍隊の力によって成立していることをここで暗示している。